コラムの五回目はペンネーム「T.N.」が担当します。
私は4月から地元の創業・経営相談員に加えてもらい、このところ創業を目指す方々とお話する機会が増えました。主に特定創業支援事業としての対応が中心で、創業希望者や創業間もない方が経営・財務・人材育成・販路開拓に関する知識を習得するためのご説明をマンツーマンで行っています。
「経営」では、相談者がどんな職業をやりたいのかの想いや意欲を聞いて、SWOT・3C等のフレームワークを踏まえたビジネスプランの策定方法、事業計画や資金計画の重要性を説明します。
「財務」は、損益/資金の違いや必要売上高算出の説明ののち、制度融資の創業計画書の損益計画、月次資金繰表の作成を支援して実習します。
「人材育成」は、殆ど採用手続きの説明となりますが、人的支出をコストでなく人への投資と捉える人的資本経営の考え方等を紹介し、従業員が定着する会社を目指すことなどをお話ししています。
「販路開拓」では、マーケティングの4P・STP分析等の説明をして、ターゲット顧客に対するアプローチ方法の検討を深めてもらいます。
これらはごく常識的なレベルの内容ですし、政策金融公庫の「創業の手引き」や商工会議所の「開業ガイドブック」を用いて行うので、説明そのものは難しくありません。
ただ、昨年の事前研修時にこれらの手引き・ガイドブックを渡された際、私が感じた不安は「私は創業を目指す方々の夢を邪魔してしまわないだろうか」というものでした。
「創業の手引き」の見開きはこんな言葉で始まっていました。「夢を叶える人になる。もっと自由に仕事がしたい。仕事の経験や知識、資格を活かしたい。もっと収入を増やしたい。…そんな想いや夢を創業で叶えてみませんか?」
これまでの私は、娘や息子の進学・就職に随分口を挟み、人前で公然と論ずるのもはばかられるような職業観にたどり着いていました。
それは、先ほどの手引きのメルヘンのような言葉とはとは真逆で、「好きなことは仕事にできない。世の中はしたいことをしてお金をもらえるほど甘くない。好きなことはお金を払って趣味でやるしかない。人より少し得意だからといって他人はお金をくれない。他人の得意話を聞かされて嬉しい人はいない。下手な講釈、月並みな演奏、みんな道楽でしかない。面接では意欲を語らないといけないが、会社選びの最大のポイントは当然、給与水準」などなど。
はじめは、大学のキャリアセンターや企業説明会で綺麗ごとを聞かされていた子供たちも、現実を知るにつけ「お父さんの言うことが正しいかも」と納得していったように思えました。
娘は音楽家を目指して芸大を受けましたが、勉強もしないと認めないとして受けさせた一般の大学に進学して、普通のOLになりました。
息子は私の情報をもとに少しでも待遇がよさそうな保険会社に入りました。
こんな夢のない社畜の代表のような私が、人様の夢のご支援などできるだろうか、とりあえず本音は封印せねばならないだろう。そう思って相談の実務に向かい始めましたが、そんな心配は杞憂でした。
創業を目指す方々は、皆さん相当真剣に自問自答して事業に向かわれていて、殆ど既に金融機関や諸支援機関にも相談してビジネスプランもかなり明確でした。幸い今のところ「ラーメンが好きだから脱サラしてラーメン屋をやる」的な方には出くわしていません。脱サラして独立を目指す方も、長年の勉強の末、資格をとって既に地域の士業会に所属して先輩から入念な顧客情報を得ており、HP作成や事務所経費の区の助成施策の活用を考えて来られていました。税理士さんなら「財務」、社労士さんなら「人材育成」は私より遥かに専門家でありながら、こちらの素人丸出しの説明にも真剣に耳を傾け、活発に質問をされ「人と話をするといろいろ気づきがある」と謙虚に言ってくれました。日々気づきをもらっているのは間違いなく私の方で、当然「夢だけじゃ食えないですよ」などと言う必要は一切ありませんでした。
ようやく最近、夢と現実の区別が一番わかっていないのはこの私だと気付きました。私は、長年の会社勤めもそろそろ潮時かなと考えた昨年、何らビジネスプランも持ち合わせず診断士として開業いたしました。手を挙げればもっと仕事があるだろうと応募した公的機関からは軒並み不採用通知を受け、唯一やらせてもらえたのがこの相談員です。ただ、今にして思えば、診断士の活動を始めた頃、お世話になった先輩が相談員をされていて、相談員こそ長年私が目標にしてきた業務でした。八方塞がりに思えた時、何とか諦めずにご縁を繋げられたのは、自分のやりたかったことを思い出せたからかもしれません。
ビジネスプランや資金繰り表も大事ですが、世の中、理屈通りにはいきません。想定外の困難に向かうとき、最後は自分の気持ちの強さ、「どれだけ夢を鮮明に描けるか」にかかっているように思います。やはり手引きに嘘は書いていなかったようです。私こそ一番分かっていませんでしたが、創業とはまさに夢を形にする行為なのだと思います。